札幌のヒグマ射殺に“北海道外に住んでる人”から苦情殺到・・・「動物好きに悪人はいない」は本当か?

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住宅地に出没したヒグマを射殺した札幌市にほぼ道外から約300件の苦情が入る

札幌市の住宅街にヒグマが相次いで出没して地域に緊張が走っていた

札幌市は専門家と協議した結果駆除することを決定しハンターによりヒグマは射殺された

このことで300件近い苦情が札幌市に入ったそうだ

だがその大半が札幌はおろかヒグマが生息しない本州在住者からの苦情だったという

自分は「安全地帯」に住んでいながら「ヒグマを殺すなんて許せない!」と憤慨している構図だ

主張は麻酔銃で眠らせるとか捕獲して山に返せとかいうものだったらしいが・・・

現場ではそんな悠長なことは言ってられないほど危険が高かったとのことだ

射殺されたヒグマは既に人慣れしていて住宅街の畑を「餌場」と考え自分の“縄張り”状態だった

当然定着するようになれば人間と遭遇するリスクは極めて高いわけで・・・

まさに「安全地帯」にいることで現場の状況を理解していない意見だったということである

2012年にも同じようなことがあった・・・


そもそもこの手の話題は2012年にもほとんど同じようなことがあった

やっぱり札幌市の住宅街を徘徊し始めたヒグマが射殺され100件を超える苦情があった

今回苦情を入れた方は2012年にも苦情を入れたんだろうか?

さらには本州でもツキノワグマすらめったに遭遇しない首都圏や関西からの苦情が多いそうだ

まだツキノワグマでも大きくて危険な個体が出没する東北在住者ならわからないでもない

クマと遭遇するなどまずありえない首都圏在住者が憤慨して苦情を入れているのはなぜだろう?

「動物好き」と「人間嫌い」


よく「動物好きに悪人はいない」というフレーズを耳にする

個人的にはこれは全く信憑性がない話だと思ってる

確かに心からの善人で動物を愛するタイプもいるだろう

だが一方で「人間嫌い」なタイプほど動物や幼い子供に過剰に愛情を注ぎ過保護になる印象もある

そしてその「反動」として人間(成人)には嫌悪感や憎悪・敵意を抱いているケースも多い

家族・友人・恋人に恵まれず孤独で愛情に飢えた果てにそれが恨みに変わり人間が嫌いになる

そして「自分を裏切ることがない」動物や純粋な幼い子供に対して心の救いを求める

人間のように卑劣で汚いことがない純粋な動物や子供に惹かれそれが過剰な愛情に変わる・・・




ましてペットの動物なら自分を無条件に受け入れてくれる

人間に裏切られたり傷つけられてきた過去があるとそれがたまらなく嬉しいもんだ

結局自分の欠点や改善点と向き合おうとせず「動物に逃げる」ように溺愛するようになる

「閉鎖的な愛情」とでも言うべきか

だが動物「だけ」を愛している人間に本当の幸福はやってこない

人間は1人では生きていけない




以前住宅地でカラスに餌付けをして近隣住民に迷惑をかけている問題人物が報じられたことがある

その人物は「カラスが好きで何が悪いんだ?オレは殺されたって続けるよ」と完全に開き直ってた

顔にモザイクはかかっていたが体型や頭髪や声の様子から50代か60代で1人で生活しているようだ

収入はどうしているか知らないが仕事もしていないようで完全に社会から隔離され屈折していた

動物を好きになるのは確かに本人の自由だ

しかし周辺住民に迷惑をかけてまで「動物を愛する権利」を主張するのは違う




餌付けされたカラスは住宅街に密集するようになりゴミを荒らし糞を大量に落とし人間を威嚇した

カラスは非常に頭が良く人間を襲う時は高所から見下ろし背後の死角を突いて急降下して攻撃する

狙うのは頭であり爪で引っかいたり前足で蹴ってくるが鋭いくちばしで頭部を貫く可能性もある

あの太くて長い黒光りする嘴で急降下の加速が加わり背後から後頭部をエグられる恐怖・・・

実際に高所から急降下で頭を突かれた主婦の事故も過去にあった(命に別状はなかったが)

実験ではリンゴを粉々に粉砕するほどの威力があることもわかっている

カラスも時として危険生物になりうる

「カラスの勝手でしょ」で済む話ではないのである




それでも人間に危害を加えず動物に「逃げて」くれているならまだ良いという考えもあるだろう

「逃げる」場所さえなくなって人間を攻撃対象に凶行に走るよりも

国内でもそのような事件が多発しているしアメリカの銃乱射事件などもそうだ

そんなことするくらいならまだ「動物」に籠っていてくれるだけマシなのかもしれない

しかしあのアドルフ・ヒトラーも大の動物好きだった・・・

ヒトラーが善人か悪人かはともかく凄まじい数の人間を殺した人物であることは事実だ

「自分は違う」という錯覚・傲慢


もちろん今回苦情を入れた方が上述したような人物のように「孤独を極める中年」とは限らない

だが動物好きな人は動物可愛さで「人間なんてどうでもいい」という思考になりがちな人もいる

さらにそれが先鋭化すると「人間なんていなくなれば良い」という危険思想にまで発展する

道に捨てられたタバコの吸い殻を愛犬が食べてしまい愛犬家が喫煙者に殺意を抱いた例もある

確かに動物は人間と違って裏切らないし人間は汚く醜い生き物なのかもしれない

そして自然環境を破壊し地球を汚し続けているのも人間のエゴによる部分が多いだろう

化石燃料使用等による地球温暖化や中国に代表される大気汚染や我が国が続ける放射能汚染

工業用排水を川に流す度に川や海や湖が汚れる・・・




それでも人間は自分たちの「利益」の為に環境破壊をやめようとしない

だが苦情を入れている人だってその「人間」の1人であることを忘れてはいないか?

他人を批判ばかりしている人に限って「自分は違う」という発想にとらわれる

上述したような環境破壊の上で成り立つ都会暮らしに浸りながら「動物を守れ」という偽善

自分は動物や自然を守るために何かしたというのだろうか?

自分に幼い子供がいてその住まいの周りをヒグマが徘徊していても同じことが言えるんだろうか?

動物を殺すくらいなら人間を殺せという考えの人に限って自分は死のうとせず安全地帯に居座る

「自分は違う(汚い人間じゃない)」という考えの持ち主はこの例に限らず様々な話題で登場する

他者を見下してバカにしたり嘲笑したりするタイプの人もそうだろう

しかしそんな考えを持っている時点で実際は同じかあるいはもっと酷い人間であるかのどちらかだ




偉そうなことを言っているオレだって偽善者だと思ってる

はっきり言って嫌いな人間はたくさんいるしそもそも人間を嫌いになるポイントが年々増えている

一方で道路で自動車に轢き殺された動物の遺体を見る度に悲しい気持ちになる

亀やスズメやイタチなどが轢き殺されぺしゃんこになり道路に張り付いている光景は本当に辛い

自動車という文明の利器に加え動物たちの生息域を切り開いて生活している人間そのものの犠牲だ

人間がいなければこの動物たちは命を落とすことはなかったんだと思うと考えさせられる

動物だけじゃない

ヘビやバッタやカマキリやカエルなどはさらに当たり前のように車に踏みつぶされている

自動車というものは地球温暖化の一因だけでなく多くの動物・・・そして多くの人間を殺している




だから自分自身も汚い人間・文明側の1人だと認識している

自分自身を守るために蚊やスズメバチを殺したことも何度もある

しかしそうしなければならない時がある

全く一切の殺生をせずに過ごすなど人間である限り不可能だ




動物や昆虫や植物との「共存」の難しさでもあるだろう

そもそも完全なる「共存」など不可能であることもわかっている

闇雲に動物や昆虫を殺しまくるなんて問題なのは当たり前だ

だからと言ってそれに過保護になり果ては人間に対して攻撃的になるのも違うだろう

もちろんあまりに酷い動物虐待・環境破壊をしている人間に対してなら批判は当然だ

しかし今回の札幌市のケースは300件近くも苦情を入れるものとは違う




この問題に限らず近年はとにかくすぐに「炎上」しやすい

人間の心に精神的ゆとりがなくなり常にピリピリして何かに怒ってる

自分に何の関係もないことに怒りのエネルギーを費やし続けている人の多い事

そういう人たちって決して「善」とは違うだろう

実際この問題も普段いろんな人の悪口ばかり言ってる人が「クマを殺すな」と憤慨していた

まさに「偽善」の極みだと見ていて嫌な気分になってしまった

成功者や愛される人は「悪口」を絶対に言わない

まして「自分は違う」なんて傲慢な発想は決して抱かない



「近親(同属)憎悪」という感情も大いに関係しているだろう

距離感・性格・立場が似通っているものを憎悪する傾向だ

自分自身が「善」ではないから同じ「善」ではない対象を憎悪し叩かずにはいられない

ネット上には中年男性が圧倒的に多くその中年男性が同じ中年男性を嫌う心理はその典型だ

動物とか幼い子供とか若者は自分の属性から離れているから寛容的になる

ネットを中心に中年・高齢男性に厳しく動物や子供や若者に甘い意見が多いのはその影響もある

ヒグマの危険性は本州のツキノワグマを圧倒的に上回る


ヒグマの恐ろしさを知らない人もいるのかもしれない

まさか可愛いクマのぬいぐるみやテディベアとかプーさんのイメージで文句言ってるとか?

もしそうであればあまりに無知すぎる

実際北海道内でも小学校周辺に現れたヒグマを殺さないでと生徒たちが懇願した例もあった

子供の「動物を殺したらかわいそう」という純粋な気持ちからなんだろう

ましてクマのぬいぐるみで遊んだ時代からそう長い時間が経過していない年代であることもある




しかしヒグマは立派な・・・危険生物である

遭遇すれば死を覚悟しなければならないほど我が国最大の危険生物である

本州で出没するツキノワグマより圧倒的に大きいし腕力も桁違いだ

ツキノワグマなら体は人間の子供程度のサイズの個体も多く人間でも撃退できた例も多い

それこそお年寄りが鎌を振り回したりしただけで撃退できた例もある

だがヒグマ相手では人間が撃退するのはクマよけスプレーでも持っていない限りほぼ不可能だろう




まず肉体のサイズも桁違いであり体長は3メートル・体重も300㎏を超えることもある

殴られれば一撃で死亡するし逃げたってあっと言う間に追いつかれるし人間の攻撃も全く効かない

そして人間を捕食する危険度もツキノワグマより圧倒的に高いのである

人間に慣れてしまったりまして人間を食べて味を知ってしまったりしていたら確実に襲ってくる

住宅街の畑やゴミ捨て場や果ては民家内部に“エサ”があると知ればその場所に執着する

それほど熊は執着性が高い動物であり今回の札幌市のヒグマもそのパターンだった




過去の日本でも三毛別羆事件や福岡大学ワンダーホーゲル部事件などヒグマによる食害事件は多い

ヒグマは生きた人間を内蔵から食べる壮絶な苦痛を与え殺す残忍さを持っている

通学途中の小学生低学年の女の子が食べられてしまった事件だってあった

そういう酷すぎる事件が北海道には過去に何度もあったことを知ってて批判しているんだろうか?

安全な首都圏で「クマちゃん可愛いのに殺しちゃうなんて可哀想」という発想だとしたら恐ろしい

まさかそこまで思考停止している人はいないと信じたいがもしそうなら人間の方が残酷である

クレーマーの多い年齢層と男女差


苦情を入れてきた人たちの性別と年齢層まで札幌市は明かしていない

だが年齢層はおそらくほぼ全員中年以上の年齢層だろうと察しはつく

この件に限らずだいたい苦情やクレームを入れてくる人は中年以上で精神的に余裕がない層が多い

若い人でクレーマーなんて見たことがないだろう?

中年以降は人生の希望や可能性がどんどん失われつつあるが若者はまだまだ精神的に余裕がある

その違いだろう

実生活で経済的か愛情面で「満たされてない」人は常に何かに怒って文句を言っている

その一環としてこのヒグマ射殺も無意味に苛立って苦情を入れているケースもあると思われる

ガチガチの動物愛護主義者というケースで苦情を入れている方はこの300件のうちわずかだろう




女性の動物好きは母性本能と関係もある

女性は「可愛いモノ」が好きだ

厳密に言えば何でも「可愛い」と考えがちだ

動物のほとんどが黒くて丸くてクリクリしたつぶらな瞳をを持っている

生物の外見が可愛いかどうかの判断はほぼ「目」で決まる

凶暴なヒグマだってクリクリしたつぶらな瞳を持っている

だから「可愛い」となるわけで・・・




だが男性には母性本能など無い

男性でこの件に苦情を入れているタイプが多かったら・・・

この国の闇を感じざるを得ない・・・

本当の「善人」なら人間・動物問わず好き嫌いを極端に差別しない


今年は北海道の道東でもヒグマが住宅地の犬を食い殺す事件が相次いでいて既に5件の被害がある

犬の外飼い自体も問題だし犬の飼い主も身勝手な人物が多い

無駄吠えのしつけもしなければ散歩中の糞も平気で放置する飼い主の多い事多い事・・・

これで「動物好きに悪人はいない」と言われて誰が納得するだろうか?

本当の「善人」は人間だろうと動物だろうと差別せず平等に愛情を示せるだろう

さすがに「誰でも愛せる」なんて現実的じゃないにしても少なくとも何かに敵意を抱いたりしない

常に何かに怒って文句や悪口ばかり言っている「動物好き」がどれほど多いことか・・・




怒り続けて文句や悪口を言い続けていないと心の平静が保てない人が日本ではすごく増えている

ネットが発達したことでその酷さがさらに悪化した

ネットという「文明の利器」が常に「怒る対象」を探すツールになっているのである

ネット上で悪口や批判や暴言ばかり書き込んでる人に限って動物や子供には異常に過保護だ

人の悪口言いまくってる人に動物や子供を守れとか言われても偽善者としか言いようがない

「動物好きに悪人はいない」という説が全くのデタラメだということがよくわかる

そういや映画やマンガでも悪の黒幕がよく膝の上で犬や猫を撫でている描写多いよね




それに「動物好き」と言っても「可愛い動物限定」で好きというなら話は違うだろう

よくある子犬とか子豚のうちは可愛いけど大きくなったら可愛くなくなったと捨てる飼い主とか

こんなのは動物好きでも善人でもなんでもない単なる「悪人」だ

見た目が可愛い動物だけ好きと差別している時点で善人でも何でもないだろう

まして動物が好きでも人間を極度に嫌っているなら本末転倒

そもそも「善人」なんてものが世の中にどれだけいるのかも疑問だけど

少なくとも安易に「動物好き」が善人みたいな考えはしない方が良いだろう

生態系の中でクマの重要性

だが熊は生態系の面では重要な動物でもありいくら危険生物だからと闇雲に殺してもダメである

仮にクマが絶滅してしまえば生態系は大きく乱れて連鎖的に絶滅する動物も出てくる

九州は熊が絶滅しても大きな問題になっていないとかいう意見もあるが北海道は全く事情が違う

特にヒグマの場合は川や海ともかかわっているから尚更重要なのである

「共存」が必要な動物であることも事実なのだ

それはヒグマ並みに我が国では危険生物であるスズメバチとて同じ事である




だから当然のことながら危険だからと闇雲に殺処分して個体数を減らしてはならない

しかし近年は本州でツキノワグマの個体数が増え出没が相次いでいる

数を守るために狩猟数を制限したことで何年かすると逆に増えすぎてしまうケースも出る

個体数調整も難しい課題である

まして近年はハンター(狩猟者)が高齢化等で激減している

ただでさえ引き受け手がいないのに今回のように無意味な苦情の殺到ではますます担い手が減る

野生動物との共存は可能なのか?

個体数調整に関しては熊だけでなく鹿やイノシシでも同様の事が言える

実際に近年は野生の鹿やイノシシが狩猟制限の影響で個体数が増え農作物被害が増加している

数年前にはイノシシが人間を襲って殺す事故も熊本県で発生している

その他の動物や昆虫や植物含め「野生」との共存は本当に難しいものである

上述した通り完全なる「共存」は不可能だ

しかしあまりに人間側にとってやりたい放題なのも事実だろう




自動車の世界では早ければあと10年くらいでスカイカー(空飛ぶ車)が実用されるかもしれない

よくSFやマンガなどで見る宙に浮いて走るあの車だ

動力もガゾリンではないから地球にも優しい

これが普及するだけで動物や昆虫がやたらに踏みつぶされ轢き殺されることもかなり減るだろう

文明の発展が動物たちの生息域を狭めて殺す結果になったのも事実

だがここまできたらさらなる文明の発展により守るしかないだろう

今更文明を放棄して江戸時代以前の暮らしに戻るわけにもいかない

前に進むしかないんだから




常に何かに怒っている無駄なエネルギーをもっと前向きなエネルギーに変えられないだろうか?

別に善人であれと言うつもりもない

ただ“偽善者”として生きていくことの無意味さに気づいてほしい

行きつく先は確実に「孤独・孤立」だ

動物を愛する心はとても尊いと思う

しかし「動物は好きだけど人間は嫌い」という考えは決して「正義」ではないだろう

それは「過ぎた正義」というものだ

動物を守りたいならまず人間を愛することが先だということだ

人間を愛せない者が動物を愛せるわけがない

人間に対するアンチテーゼで与える感情は決して「愛情」とは違うんだから・・・


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